格子変形を施したカーボンナノチューブにおける不純物散乱

この研究は以下のリンクで紹介される研究に続くものである.
まずは,そちらを参照のこと.





結晶中の電子状態(エネルギーバンド)

結晶中の電子は,規則的に配列した正に帯電した原子核(イオン)から引力を感じながら,運動する. 他の電子からは斥力相互作用を受ける.原子核は電子と比べて質量が桁違いに大きいので,まずは, 止まっているものと考えてよい.他の電子は,そうもいかない上に,その数が非常に多いので, 平均的な空間分布を考えて,こちらも,時間に依存しない静電ポテンシャルに置き換えてしまう. 電子分布も格子と原子核の配列と整合した周期性を持つと考えられ,両者のポテンシャルを合わせて周期ポテンシャルと呼ぶ.

ちなみに,他の電子が動くことによる影響を電子相関と呼び,単なる電子間相互作用とは区別される. 電子相関も現代の物性物理学における主要課題であるが,ここでは,その効果を無視する.

ミクロの世界では電子の運動は量子論に従う. 量子論とは,単純化すれば,物質も波動として記述されると言える. 自由電子はエネルギーから定まる,いわゆる,ド・ブロイ波長を持った波動として振る舞い, 電子の等速運動は単色の進行波として理解できる.

周期ポテンシャルと量子性を考慮すると運動はどうなるか? 基本的にはポテンシャルによる波の散乱を考えることになる. 単純化して,原子核の位置のみで波が散乱されるとして,あらゆる原子核からの反射波を重ね合わせた状態はどうなるだろうか. 一般的にはそれぞれの反射波の位相はランダムなので,それらは打ち消しあい,散乱の影響は非常に小さく,元の進行波の性質は保たれる.

ところが,電子のド・ブロイ波長が結晶の格子周期と整合する時,位相の揃った反射波は干渉効果で強めあい, 結果として,電子は進行波としては存在できないという事態が生じる. つまり,弦の振動のような定在波となり,特定の波長を持つ状態の電子は結晶内を移動できないことになる.

物質に電気を流すということは,電子の動きで見ると,電子を片側から注入し反対側から取り出すということだが, 上述した定在波状態では電気の流れを,つまり,電流を結晶中に生成することができないことになる.

自由粒子の場合,エネルギーは連続的な値を持つことができるのに対し,周期ポテンシャルを持つ結晶中にはあるエネルギーを持つ粒子は入り込めないことになる. この電子が存在できないエネルギー領域をエネルギー禁制帯と呼ぶ.結果として,エネルギー軸上に粒子が存在可能な状態が帯状に分布することから, これらをエネルギー帯(エネルギーバンド)と呼ぶ.

電子相関の弱い系では,エネルギーバンドを理論的に高精度で予言可能であり,今日の半導体産業の興隆は, 固体物理学(あるいは,元を辿れば,量子力学や統計物理学)の英知を結集した結果であることを,応用物理の学生は,知っておいたほうがよい.


格子変形を施したカーボンナノチューブ

物質に外部応力を印加すれば,その結果,原子配置は変化し電子が感じる周期ポテンシャルに変調が生じる. 典型的な金属や半導体では局所的な体積変化に伴い,それに比例したポテンシャル変調を変形ポテンシャルと呼ぶ. 伸長やねじりといった一様な応力に対して変形ポテンシャルは場所に依存しない定数エネルギーシフトを与えるのみである. つまり,エネルギーバンド構造や電子波の形状(波動関数)は変化しないものとして構わない.

ところが,カーボンナノチューブではその電子構造の特殊性から,一様な応力に対しても電子状態が変調され, しかも,その変調がナノチューブの構造に依存して変化することが明らかになっていた. 例えば,アームチェアナノチューブと呼ばれる構造は常に金属となるが,チューブをねじるとエネルギーギャップが生成され,絶縁体となるが, 伸ばした場合はギャップは生じない. ジグザグナノチューブの場合は,伸長変形の場合にギャップが生じ,ねじりでは生じない.

これらの事実に着目して,両端に電極を接続し電気伝導を測定する場合,何らかの方法でエネルギーギャップが生じる付近に電位(フェルミエネルギー,あるいは,電子数)を調整すれば, チューブを変形することで,電流のオン・オフが可能となる. 逆に,電流の変化を見ることで変形の度合いを知ることが可能で,変形に対するセンサーに用いることが可能かもしれない. しかしながら,かなり大きな変形に対しても生じるギャップは小さなもので,エネルギーギャップに外部から供給する電子のエネルギーをあわせるよう 電位を調整することは難しいと思われる.

では,このような外部応力によるチューブの一様変形による電気伝導の変調は考慮する必要はないのだろうか? そうではなく,あらゆる電位で電気伝導は外部応力により変調を受けるというのがこの研究の帰結である.


不純物散乱

電気伝導現象で基本的な性質と言えば,電流(I)が電圧(V)に比例するという,オームの法則である. V=IRと書いた時,Rを抵抗,I=GVとして,Gをコンダクタンスと呼ぶ.当然ながら,G=1/Rの関係がある. 抵抗は流れにくさ,コンダクタンスは流れやすさを表すと考えてよい. では,この抵抗が生じる原因はなんだろうか.

まず,古典的描像では電子が原子核に衝突してさまざまな方向に散乱されることが思いつくが, エネルギーバンドのところで述べたように,周期ポテンシャルは特定のエネルギー領域を除き, 自由粒子と同様な状態とみなせるから,散乱は生じないことになる. これを逆から考えれば,周期性を乱す原因があれば,エネルギーバンド描像が正当化できなくなり, 電子は散乱されると考えてよい.

結晶の周期性を破るには,原子核の配列が変化すればよい. これは格子変形により原子配列に乱れが生じることで電子が散乱されることを意味し,電子格子散乱と呼ばれる. 格子は熱エネルギーにより絶えず微小振動しているので高温での電気抵抗はこの要因による.

周期性を乱すもう一つの要因が,ある原子核を別の種類のものに置き換えてしまう,不純物の存在である. 大きさが似通っていれば,単純に置き換わる可能性がある他,置き換わらないまでも, 隙間に入り込んだり,表面に吸着されることにより,電子が感じるポテンシャルを変化させてしまう. このような不純物の存在に起因する散乱は温度に依存しない効果なので,低温では不純物による電子散乱が支配的となる.


アンダーソン局在

電子が格子振動によって散乱される場合,量子論的にはどちらも波動なので, 電子状態のみに着目した場合,波動としての位相は,散乱の前後で,格子の状態に依存して変化する. つまり,電子としての位相は保持されないので,干渉効果はそこで途絶えることとなる.

それに対して,不純物散乱の場合,不純物の状態は時間的に変化せず,電子は散乱の前後で位相は変化したとしても, 同じ不純物による散乱であれば,その位相変化は一定であり,電子の位相情報は保持される. つまり,不純物散乱では電極の端から入射して,物質の内部で数多くの散乱を受け,外に出てくるまでずっと位相情報を保持することになるが, 量子力学的位相に起因する量子干渉効果が現れる輸送現象を量子輸送現象と呼ぶ.

不純物は空間的にランダムに配置されているとすれば,任意の方向への散乱波が打ち消され,無限遠方に到達できなくなる可能性がある. これは,状態が空間的に局在し,電子は限られた領域外には動けなくなることを意味する. この現象をアンダーソン局在と呼び,特に,低次元系では局在傾向が強まることが知られている. いい加減に言えば,これは空間的な移動方向が制限され打ち消しあう成分が多く集まると考えられる.

アンダーソン局在が起きた時,電気伝導はどうなるか? 電極から電子が入射しても,限られた空間でしか移動できず,離れた電極に到達することは出来ないため,電気伝導は生じないと言える. これは,別の見方では,量子効果により後方散乱確率が増大したとも解釈でき,散乱が弱い時のこの局在への前駆現象を弱局在効果と呼ぶ.

この弱局在は,時間反転対称性を有する系では,例えば,一定時間内に元の位置に戻ってくる確率を考えるとする. あるひとつの散乱過程を考えた時,時間反転対称性により,必ずその時間反転過程が存在し,2つの散乱過程の確率振幅の大きさは等しい. 古典力学では散乱確率はその振幅の2乗を足し合わせて2倍となるが,量子力学的には振幅を重ね合わせてから2乗をとるため,散乱確率が2倍に増大することになる. これが,量子性に起因する後方散乱の増大のメカニズムである.


卒業研究の内容

先行研究の紹介の中で述べたように,金属ナノチューブは不純物散乱の生じない完全導体となりうることが大きな特徴である. これは,特殊な電子構造に起因する,ベリー位相と呼ばれる付加的な位相の存在により,量子効果により後方散乱が逆に打ち消しあっていることで説明できる.

本研究では,不純物を含んだ金属ナノチューブに外部応力による一様変形を加えコンダクタンスを数値的に求めることにより,伝導の変調の可能性を議論した. 散乱が非常に小さな系であるため,非常に大きなサイズの計算が必要となる. しかも,コンダクタンスの値は不純物配置によって揺らぐため,その平均的挙動を知るためには多数の不純物配置に対する平均操作を行わなければならない.

コンダクタンスの計算法として,再帰的グリーン関数法を採用することにより, 必要な配列の次元は小さく抑えることが可能だが,チューブをできるだけ長く,出来るだけ多くの不純物配置を ということになるため,膨大な計算時間を要することになった.

結果としては,電子状態の変調に応じて,電気伝導は変化することが明らかになった. 重要なのは,程度の差こそあれ,任意の電子数で伝導が変調されることである. これは,変形によって生じるエネルギーギャップにほとんど影響を受けないように見える状態でも 波動関数の位相変調はゼロではないことによる. 量子輸送現象は位相変化に敏感であるから,数多くの不純物と相互作用を重ねた結果,変形による電子の位相変調により後方散乱の消失効果が破れたと考えられる.

一様な応力変形(伸張,ねじり)は,有効的な磁束と解釈できて,擬似的な時間反転対称性が破れた結果と解釈することも可能である. いずれにしろ,不純物散乱まで考慮すれば,応力による格子変形は電気伝導に敏感に反映されるという結果が導かれた.