炭素原子とそのネットワーク
炭素原子のみから構成される物質として,昔から知られているものに,ダイアモンドとグラファイト(黒鉛)がある. 原子番号が6の炭素原子は電子を6個有しており,1s軌道を2個の電子が占有し,最外殻は2s軌道と2p軌道でその中に4つの電子を占有させることになる. このように,最外殻が丁度半分だけ占有された状態は原子としては最も不安定な状態で,他の原子と共有結合を組むことにより安定化しようとする. 共有結合を組むためには最外殻の4つの軌道を混成させて等方的に電子軌道が広がる方が都合がよい. 4つの軌道が等方的になるようsp3混成軌道を形成して3次元的にネットワーク構造を実現したのがダイアモンドで,それにちなんでこのような結晶構造をダイアモンド構造と呼ぶ. 一方,3つの軌道を平面内において等方的になるように混成したsp2混成軌道では平面的なネットワークを構成し,その2次元平面構造を積層したものがグラファイトである. グラファイトにおいては,2次元面内の結合と比較して面間の結合は弱い. 黒鉛が鉛筆の芯として用いられるのは,強く紙に押し付けることにより,面として剥がれ落ち,紙に残されることで鉛筆としての機能を果たすことによる. グラファイトの平面構造は炭素原子による6角形を単位胞とした蜂の巣格子である. しかしながら,理論上は,sp2混成軌道のネットワークが6角形に限定される理由はない. 例えば,蜂の巣格子の6角形のひとつを5角形にしてみよう. あるひとつの6角形の中心から,その6角形のある一辺を含むような,中心を頂点とした角が60度の三角形を切り出し,切断部を貼り付けることで,ひとつの5角形を含んだ平面ネットワークを実現できる. 逆に,同じ3角形を挿入することを考えると,7角形をひとつ生成することができる. 結晶の言葉を用いると,これは格子欠陥である. ともかく,このような欠陥を含んだとしても,フラットな平面でなく曲がった曲面にはなるが,2次元面のネットワークを実現できるはずである. この議論を深めていくと12個の5角形を挿入することにより閉じた曲面を造ることが可能であることが分かる. これに着目し,1970年,最初にC60分子の存在を予言したのは日本人研究者の大沢映二であった. 後に,実験的にも存在が確認され,大量合成も実現し,同様の構造を持つ閉じた分子構造を総称してフラーレンと呼ぶようになり,炭素単体の第3の存在形態として認知されている.
カーボンナノチューブ
1991年,フラーレン分子の製造過程における電子顕微鏡による観察中,煤の中に円筒状の物質を発見したのが,これも日本人研究者の,飯島澄男であった. この時発見されたカーボンナノチューブは,単に安定に存在するフラーレン分子の一つという評価に留まることなく,その後のナノテクノロジーの牽引役として重要な役割を果たしており,むしろ,フラーレンと並び称される,第4の存在形態として大きな注目を集めている. カーボンナノチューブはグラファイト平面を円筒状にまるめて繋げた構造を持ち,フラーレンとは異なり,その生成に際して蜂の巣格子の中に欠陥が入る必要がない. また,フラーレン分子は閉じた構造を持ち,少数の炭素原子から構成されるミクロな物質であり,物理的応用を実現するには分子結晶を考えなければならなかった. 他方,ナノチューブは単体で無限に長い構造を実現することができ,チューブを束ねたり,入れ子にしたりして複合体を構成することも,もちろん,可能である. ナノチューブの発見後,最初にそれに飛びついたのは,物性理論の研究者であった. グラファイトに関しては,膨大な研究成果の蓄積があり,その経験を活かすことができたからだと思われるが,短期間に多くの興味深い結果が予言された. そのひとつに,チューブの構造に依存してカーボンナノチューブは金属にも半導体にもなるという予言があった. 一般に,物質の組成が決まれば電気的な性質は一定で,半導体や絶縁体を金属に変えるには電荷をどこかから注入する必要があることから,これは驚くべき結果として注目された.
カーボンナノチューブの電子状態
カーボンナノチューブの電子状態の特異性は2次元グラファイトのエネルギーバンドの性質を反映している. 炭素原子のsp2ネットワークでは混成軌道に関与しない,パイ軌道と呼ばれる軌道にある,電子が伝導の役目を担う. 蜂の巣格子の周期ポテンシャルによりエネルギーバンドを形成するが,自由電子の場合と大きく異なり,フェルミ面がいくつかの点の集合になっている. たとえ点ではあっても,状態が連続的に分布していれば,その周りで無限小のエネルギーにより状態の励起が可能になり,金属となる. 平面をチューブにすることで何が変わるのか. 極端に細いチューブでない限り,局所的には平面からのずれは小さいので,周期的に繋がったことをまず考慮すべきである. 電子にとって,空間のある方向が周期的になるということは,固体物理における常套手段である周期的境界条件として表現される. つまり,その方向の波数が離散的な値に量子化されることになる. 結果的に2次元のバンド構造から,離散的な波数の数だけ1次元のバンドが切り出される. グラファイト平面は,一様な平面ではなく,蜂の巣格子により構成されていることから,どの方向をチューブの軸として選ぶかで構造はことなり,切り出されるバンドも異なることになる. 一般にはこのような操作で切り出されたバンドの中に部分占有されたバンドがひとつでもあれば金属になる. ところが,グラファイトではフェルミ面が点になっていることから,その点を内部に含まない限り,切り出されたバンドは完全に占有されているか,完全に空いているかのどちらかになる. つまり,フェルミ点を含むような量子化条件となる構造は金属に,それ以外はエネルギーギャップが存在して半導体となる.
完全伝導体としての金属カーボンナノチューブ
金属ナノチューブは電気伝導に関して,さらに,特異な性質を示すことが理論的に示されている. 金属の電気伝導において,室温では格子振動による散乱が支配的だが,低温では熱励起される格子振動が抑制されるため,不純物による散乱が伝導性を決めることになる. ところが,金属カーボンナノチューブでは,通常想定される不純物では全く散乱が生じず,抵抗を受けることなく流れる電流成分が存在することが明らかにされた.つまり,電子の弾道的輸送が実現されるという予言をしたことなる. その後,コンダクタンスの量子化という形で,弾道的輸送が実験的に確認されたという報告があり,そのような完全伝導が実現しない場合でも,金属カーボンナノチューブは銅線と匹敵する,あるいは,それ以上の良導体であると認知されている. ナノチューブの直径は数ナノメートルまで小さくできるので,ナノメートル領域の電気配線を可能にする夢の材料として注目を集め,実際に,ナノデバイスの実現に向けて多数の研究者が開発にしのぎを削っている.
卒業研究の内容
実は,不純物による散乱は生じないが,格子振動によってはわずかながら抵抗が生じることがわかっている. また,格子歪により電子状態が変調を受け,その構造と歪の種類によっては金属性を示すバンドにギャップが生じるという予言もされている. この事実を踏まえて,電子格子相互作用を定量的に評価した上で,外部から格子歪を印加した有限サイズのカーボンナノチューブにおける電気伝導を理論的に計算した. 計算結果は,格子歪によるバンド変調を反映して,バンドギャップが生じるケースでは大きく電気伝導が抑制されることが明らかになった. ただし,電界効果なり何らかの方法でフェルミ面を少しでもずらすことにより,その電気伝導の変調は避けられることが明らかになった. 電気伝導を外部から制御するという立場なら,フェルミ面を動かさないように,デバイス作成時に不可避である歪の影響を回避することが望ましい場合は,フェルミ面をずらすよう設計すればよいことになる.
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