励起子間相互作用に起因する四光波混合信号の解析



非線形光学

物質に光をあてると吸収されれば何も戻ってこないので,人の目では何も反応がなく黒く見えることになる.反射されると戻ってきた光を感知し,その波長の違いを色として認識している.光が物質を透過することもある.物質の裏側からやってくる光も透過すればその物質は光にとっては存在しないのと同じことなのでこの場合物質は透明であるという.

光をあてた物質からどのような光が戻ってくるだろうか.単純には,吸収されず透過しなかった分が戻ってくると考えらる.光は電磁波であるが,電磁波の従うMaxwell方程式は線形微分方程式なので,その解は異なる波長を持った波の重ねあわせであり,それぞれの成分に対してエネルギーと運動量の保存を考慮しながら反射,吸収,透過がどのような割合で生じるかを調べればよい.このような物質の光に対する応答を線形光学応答と呼ぶ.

線形応答では物質に入射した光とその応答である反射,あるいは,透過した光で,振動数と波長,つまり,エネルギーと運動量は全く同じである.ところが,実際にはそれ以外に多種多様な光信号が観測される.振動数が倍になった倍波,3倍になった3倍波や,2つの入射波の周波数の和や差の振動数を持った光など,このような信号を総称して非線形光学信号と呼ぶ.

倍波が生じる過程を同じ振動数を持つ光が2つ入射して倍波が生じると考えると,光学過程全体で3つの光が関与する.入射成分のどちらが欠けても倍波の信号は得られないので,線形性は破れており,それゆえ非線形ということになる.これを一般化して複数の光が関与する非線形光学過程を多光波混合と呼び,本研究では4つの光を用いる4光波混合に着目する.


非線形光学の応用

非線形光学は,この後に述べる物質を調べる有力な手段であるということだけでなく,様々な応用も考えられている.波長変換や,光信号のの増幅,スイッチングなど実際に商品化されているものから夢のような話まで,玉石混合かもしれないが,それらのアイデアの実現に向けて大学・企業の多くの研究機関で莫大な予算が投資され研究が進行している.

光スイッチングを例に考えよう.電子デバイスの高速化に限界が見えた現在,究極の高速化として,あらゆる操作を光で行うという光デバイスを実現しようと多くの試みがなされてきた.デバイス動作の最も基本は,オンとオフの切り替えだが,その切り替えを別な物理的操作を介入させてはそこで律速となり,できればそこも光の入力により実現したい.

複数の光入力による出力光とは,まさに先に述べた,非線形光学信号そのものである.強い非線形信号を得るためには,非線形応答の強い物質を見つける必要があり,そのようなことを目指した物質設計を可能にするには,非線形性の起源がどこにあるのかについて深く理解する必要があり,それが本研究の大きな目標の一つである.


半導体中の励起子・励起子分子

研究対象とする物質は半導体である.結晶中で電子はエネルギーバンドを形成しており,半導体においては価電子帯はすべての電子が占有されて電子が動けない状態にあり,伝導帯は電子が全く存在しないからの状態である.価電子帯の電子が運動して別の状態に遷移するには,パウリ原理により価電子帯内の状態への遷移は禁止されているため,エネルギーギャップを超えて伝導帯の空いた状態に移るしかない.よって,少々の電場を印加しても電子遷移は生じず電流が流れることも無い.

半導体に光を照射するとどうなるか.振動数の小さな光では電子遷移は生じないが,その振動数を高くしてエネルギーギャップを超えた時,価電子帯にある電子は光を吸収してエネルギーを獲得し,ギャップを乗り越え伝導帯に遷移することが可能になり,これをバンド間遷移と呼ぶ.電子が伝導帯に遷移した後,価電子帯にはひとつの空いた状態が残る.これをひとつの粒子とみなしたものが,いわゆる,正孔であり,半導体に光が吸収されると電子・正孔対が生成されることになる.実は,半導体の光吸収過程はこれほど単純ではなく,エネルギーギャップより小さいエネルギーで吸収が始まり,しかも,バンド間遷移よりもずっと吸収が強いことが分かっており,これは光により励起子が生成されたと考えられている.

励起子とは電子と正孔の束縛状態である.電荷保存を考慮すると,電子の抜けたあとにできる正孔は電子と反対の正電荷を持つとしなければならない.異なる電荷を持つ2粒子間にはクーロン引力が作用し,これは水素原子における電子と陽子の関係と全く同じであることから,電子と正孔は水素原子のように束縛状態を形成し安定化する.この電子と正孔の束縛状態が励起子であり,さらに,水素分子のように2つの励起子が束縛した状態も存在してこれを励起子分子と呼ぶ.


半導体における非線形光学応答

物質の非線形光学応答を調べることの意義は何だろうか.非線形光学信号を得るためにはどこかに線形性を破る原因が存在しなければならない.真空中の電磁波は,量子効果による真空分極の効果まで考慮すれば非線形性はゼロではないが,線形波動であると考えてよい.物質との相互作用により電磁波は変調を受けるが,物質系も調和振動する線形波動で記述されるとすれば,相互作用により連成振動が形成されるのみで,やはり,非線形信号を得ることはできない.つまり,非線形光学応答は物質系に内在する非線形性を利用しているということになる.

半導体の光学応答に関わる非線形性とは何だろうか.電子・正孔ペアを生成するという観点からすれば,以下に述べる理由により,複数のペアを生成するそれぞれの過程はほぼ独立で,線形の系とみなして差し支えない.つまり,バンド間遷移による非線形性は非常に弱く,非線形光学信号を得るのは容易なことではない.

非線形性の起源としては以下に述べる2つの効果が考えられる.ひとつは,電子がフェルミ粒子であることによる.パウリの排他率により伝導帯の同じ状態に電子を遷移させることができないことから,同じ電子の1粒子状態を含む2つの電子・正孔ペアを同時に生成することはできず,線形性は破れることになる.

もうひとつは,電荷間のクーロン相互作用である.電子・正孔ペアは全体として中性であることから,近似的には,異なるペアの間にクーロン相互作用を考える必要はない.しかし,ペアが空間的に近い位置にある場合は,ペアとしてではなく構成要素の電子と正孔存在があらわになり,それらの電荷の間に働くクーロン相互作用を考慮する必要がある.クーロン相互作用は2つの粒子が存在して初めて機能することから重ねあわせの原理を破る典型的な非線形性である.


励起子による非線形信号の増強

半導体のバンド間遷移による非線形光学効果が小さい理由は,上で述べたように,実空間で見ると非線形性は2つの電子・正孔ペアが非常に近くに存在した時のみ有効的に作用するが,入射光強度が小さく励起密度が低い場合,生成される電子・正孔ペア間の平均的な距離が大きすぎることによる.励起強度を上げれば非線形性は増強されるが,応用上の観点からは弱励起による動作が望ましい.

そこで,励起子による非線形光学応答がクローズアップされることになる.非線形性の起源という意味では,電子・正孔ペアであることには変わりが無いため同様のことがあてはまる.異なる点は,バンド間遷移と比較して,励起子は光と強く結合していることにあり,この事実を励起子の振動子強度が大きいと言う.

非線形光学過程では,中間状態において複数の電子・正孔ペアが生成された状態を経由し,そのペアの生成と消滅が繰り返される.1回のペアの生成,あるいは,消滅する確率は振動子強度の2乗に比例するので,励起子を数多く中間状態に経由するほど信号は増強されることになる.4光波混合は3次の非線形光学応答であり,振動子強度の6乗に比例することからこの違いは決定的である

励起子を用いることで強い非線形信号を得ることができるとなれば,理論的には励起子を生成するエネルギー近傍において正しく機能する有効モデルを構築することにより,非線形光学応答に関する実験結果の解析や物質設計などに大きく貢献することになると考えられる.


卒業研究の内容

以上の事実を踏まえて,窒化ガリウム(GaN)の4光波混合の実験結果を解析した.入射光の振動数を励起子のエネルギーに共鳴するように調整したことにより非線形信号を得ることに成功しているが,光には右回りと左回り(直線偏光ならXY)偏光の自由度があること,価電子帯の縮退により複数の種類の励起子が存在することなどから,その信号の振る舞いは非常に複雑である.

本研究では,1光子による励起状態としてバンド間遷移による電子・正孔ペアの存在をすべて無視して,振動子強度の大きい励起子状態のみを考慮した.3次の非線形光学過程では2光子による励起状態が必要で,そこには,やはり,振動子強度の大きい励起子分子状態と,弱く相互作用する2励起子の状態をモデルに取り込んだ.その結果,あらゆる周波数スペクトルのデータを再現する非常に単純化された有効モデルを得ることに成功した.

この有効モデルによる4光波混合信号の計算結果から得られた重要な知見は,非線形信号の強度を決めるのは励起子分子というより,むしろ,弱く相互作用する2励起子状態の情報であることが明らかになったことである.